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    介護日記 おとんナウ

    認知症の親を在宅介護している見守り人嫁のお話です。

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    2020-02-09 (Sun) 00:00

    「家でぽっくり逝きたい」と言う義父に、嫁ができること。


      やり直しのきかない人生

      待った無しの命

      ー相田みつをー

      認知症夫婦ある日の出来事 嫁の私観察記録。

      アルツハイマー型認知症義父おとん(要介護3)。
      高齢者になった親の「最後をどうやってむかえるか?」と言うお話です。

      私の宝物

      認知症というものは、
      人をじわじわと変えてゆくものだ。
      本人と家族を苦しめる。

      おとんもその一人だ。
      認知症になって、できないことが増え
      家族の力が必要となったのだ。


      介護をすると言うことは、
      簡単なことではない。

      自分だけではなく、一人の人を
      ささえることのたいへんさを身において感じている。

      おとんも80歳を超え高齢者だ。
      「家でぽっくり逝きたい」と言う。
      「誰にも迷惑をかけたくない」という親の心だろう。

      そんなおとんを自宅で最後までみてあげたい嫁の私。

      しかし、最後までみるということは、
      「最後をどうやってむかえるか?」だ。

      嫁の私は、以前自分の母を自宅で介護していた。
      実の母は、認知症ではないが、ほぼ寝たきりだった。

      寝たきりだったが、オムツは着けたことは一度もない。
      実の母が、排泄はトイレと決めていたからだ。

      実の母がトイレに、行きたいと言うたびに座ってもらった。
      最後のさいごまで、トイレにこだわった。
      亡くなる日まで、トイレに座ったのだ。

      母が人として、
      自分らしく、
      親としてみせてくれた生きかた。

      人が一生を生きぬくということは、
      こんなにもつらく、たいへんなことなのだと
      母の人生の終盤(しゅうばん)を共に学んだ。


      あれから10年以上たった今、
      認知症を勉強し介護もマシになった嫁の私。
      介護サービスや医療も進歩している。

      「家でぽっくり逝きたい」と言う義父。

      嫁の私ができることは、
      よい介護技術でも認知症に効く薬を飲ませることではない。
      母から学んだことだ。

      人は、どんな状況でも
      自分らしく、人として生きること。

      おとんの介護者であるまえに、おとんの息子の嫁なのだ。
      おとんらしく過ごせるように、
      日々の暮らしをささえてゆくことだ。

      ふつうの幸せで最後をむかえてもらうことが
      嫁の私のつとめだと思う。

      おしまい。

      お読みいただきありがとうございます。
      今日もハッピー介護(^_^)ノまたね~。

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      [Tag] * 看取り *  * 認知症

      最終更新日 : 2022-04-06

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